安永安次生誕の地

 国道251号線で南串山から加津佐に入ると左手に案内看板が見える。「本朝二十四孝の一人安永安次生誕の地」とある。(01/07/2003)

 安永安次は延宝の世(1970年代)津波見名の農民で「本朝孝子伝」の二十四孝の一人として数えられている。父の名は安平といい、子に四男一女があり、安次はその長子で久右衛門と号した。

 安次は天性の親思いの孝子であって、親の保養のためには全力をあげてつくした。親に食べさせる米を作った田圃を「孝子田」と称している。今も津波見小学校のすぐ裏手にある。安次はこのように孝養をつくし、法に従い公を重んじ、人の子としても公民としても誠に篤行の人であった。

 その行為は隣近所より部落にひろまり、やがて一郷一村みなその風を慕い、良風美俗の里となるに至った。

 津波見地区では、毎年4月24日の命日を期して安次の徳をたたえる孝子祭が開かれている。

〜孝子祭実行委員会〜

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