川棚町の戦争遺構を訪ねて

 太平洋戦争の終焉を迎えるころ大村湾に面した東彼杵郡川棚町の地に魚雷艇訓練所があった。近くには当然のように魚雷発射試験場があり今尚、前大戦の遺構が幻影のように残されている。(09/02/2008)

 片島魚雷発射試験場。大正期に佐世保海軍工廠で生産された魚雷の発射試験を行うために作られ、昭和17年、太平洋戦争の最中、川棚海軍工廠の開設に伴い拡張された。

 陸上に残された遺構の内部には、木々が枝を広げ不思議な空間を作り出している。試験場から北に向かえば、今は案内看板が残るだけの魚雷艇訓練所の跡にたどり着く。そこには特攻殉国の碑が静かに大村湾を望んでいた。

 碑とともに目を向ければ、沖合いのクレーンの基礎が見える。岸から基礎まで桟橋が伸びていたのだろう。その先に伸びた桟橋には魚雷艇の震洋だけでなく、人間魚雷回天や機雷を流用した壮絶な有人兵器伏龍の訓練も行われていたという。

 現自衛隊の兵器が命を的に掛けることなく訓練だけで消耗されることを祈るばかりだ。

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