もう一つの中華街「館内」を散策

 中国との長い歴史の町、長崎の中華街と言うと新地と湊公園だけだと思っている人がいる。新地は元を正せば、ただの倉庫街。本物の中華街(唐人町)は館内だ。ランタンフェスティバルを前に散策してみた。(01/22/2003))

 湊公園から広馬場商店街の看板を抜けて入っていくと、唐人町跡の標柱がある。ここからが出島の時代に唐人達の居留地「館内」だ。昔ながらの市場の風情を楽しんで上って行くと、土神堂が見える。この前を右手に抜けると市場の通りに公衆浴場「丸金温泉」がある。

 少しあがって右手に入ると、十人町の境を流れる小川に小さな石造アーチ橋がある。地元出身の森伊三次さんという方が寄贈した橋だという。元の通りに戻って、坂の上を見ると天后(媽姐)堂が見えます。長い航海の後で長崎に着いた唐人達の航海の神様です。この辺りを歩いていると、台湾の街角を歩いた時の記憶が戻ってくる。天后堂に向かって左側にもなにやら見える。

 石のアーチの向うは観音堂、いまは幼稚園になっているので、子供達の歓声が聞こえる。脇を上るとマンションがあるが、このマンションを近所の人が出入している。マンションのエレベーターを周辺の人も利用して右の館内の石垣の向うに見える高台に抜けていく。坂の町、長崎ならではの風景。

 マンションの裏側には、館内の空堀遺構があり、先ほどの石垣と併せて、館内が外の世界と切り離された時代が有ったことを忍ばせる。ちょっと戻って榮橋を眺めて館内の中心になる坂を下っていこう。

 坂道の途中には、如何にも唐人街を思わせる薬局や、日本茶のお店があったり渾然とした雰囲気を楽しみながら下る。右手を見ていると、福建会館です。長崎の中華街の人たちは福建省からの人が多く、中に入ってみると、福建省から遠地長崎にやってきた人たちの願いの言葉が記されている。

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