島原市立第三小学校 旧校舎

 昭和三年に供用開始された島原市の第三小学校の本校舎は卒業生達にとっての思い出の学び舎で有ると同時に昭和初期の貴重なコンクリート建造物でもある。文化財にも等しい建物では有るが小学校は地域の避難場所等の重要施設でもあり児童を護る建物だから耐震性という実用性を求められる施設でもある。建替えられる事の是非ではなく素晴らしい建物の記憶を残しておこう。(08/03/2011)

 夏休みの早朝の学校にはクラブ活動の児童の声が体育館から聞こえてくる。教職員や父兄は解体が始まる前の残された時間を引越しの準備に追われていた。

 校庭に廻って本校舎の全県を眺めてみると築83年の歴史を刻んだ校舎が堂々とした姿を見せていた。私はこの本校舎の改築の為の積算をするために現地を改めて見に来たのだ。

 児童の通用口に向かう途中振り向くと眉山の美しい姿が望める。昭和33年に本校に入学した友は3年生の時に天皇皇后両陛下を校庭で迎えたときの事を今でもよく覚えている。校庭で陛下の訓話を聞いた事を懐かしく話す。

 

 円形の水飲場や奥の湧水の池は鮮明に記憶に残っていて彼から聞いたとおりの姿で今日出会うことが出来た。

 建物の中に入ると建築当時は小学校に照明等は無く天井には何も無いのが当たり前の時代。年月の経過と共に露出で電気工事が行われた事が良く判る。天井裏の必要の無かった時代だ。

 同じように天井の無い教室にも調査に入る。真夏の明るい光が満ちる教室には使命を終えた教室の安堵と誇らしさが満ちていて淋しさなどは微塵も無い。

 ありがとう島原第三小学校の本校舎。もう旧校舎と名前が変わったね。貴方は堂々と時代を受け止めているのに調査に来た私は少し感傷的に成っているようだ。

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