平戸市の度島を訪ねて

 平戸本島の北に浮かぶ度島・的山大島のうち、なかなか渡る事の無い度島(たくしま)を訪ねた。(01/10/2009)

 平戸港ターミナルで発券(往復5,570円4m未満)を受けてフェリー度島に乗り込む。30分の船旅で度島の飯盛港に到着。

 竹山運輸(有)が運行する第二フェリー度島は199トンの結構大きな船。的山大島へのフェリーと変わらない大きさ。

 度島には飯盛港と度島本村の港にフェリーが接岸するが、車両は殆んど飯盛港で下船・乗船するようだ。

 どこに行っても、まずは地元の鎮守様にご挨拶。港を守る向かいの島の山頂には金比羅様(琴平神社)が祀られているが、港の脇の飯盛神社に参拝。

 

 時計回りに度島本村に行っては5分も有れば着いてしまうので、反時計回りに巡って見よう。入港の時に右手に見えていた灯台のある岬から、牛の放牧場に周ると、まだ若い和牛が放牧されていた。牛達の向こうに見えるのは隣の的山大島。

 この辺は、朝日の絶景ポイントだそうだ。

 やや走って北側の海沿いの道を走る。誰にも遭わない。すぐに生月が見えてきた。面積的には的山大島の1/5の3.5k平米、東西に3.5kmの小さな島。一周しても10kmも無い。高低差が少ないので、自転車か徒歩で回るのが気持ちがいいだろう。

 猪の害が出ているのだろう、舗装道路を外れたところには罠が仕掛けてあった。程なく度島の南端まで来ると、海底ケーブルの送電線が上がっている場所に出た。二回線上がっているようだ。消防の格納庫を過ぎると、すぐに度島の中心地本村の集落に出る。

 左手の高台に穐葉神社が見える。ちょっとご挨拶。一般に書かれる秋葉ではなく穐葉の文字が使われている。

 この度島には、診療所がある。その診療所の脇から立願寺に向かう。聞けば立願寺は元キリシタンの教会で、平戸藩の弾圧の際に、ここに立て籠もって戦ったが敵わず。キリシタンの教義に殉ずるか離島するしかなかったという。それ以来、度島にキリシタンは居ないという。

 診療所の前から少し上がると、樹齢300年とも言われる大銀杏の樹が分かれ道に立っている。その根元に「河童の約束手形」なる石が有るのだが、港の観光案内の看板にも現地にも解説は無く、詳細は不明?

 もう少し上がると、平戸市立度島小中学校。フェリーで遠くから度島をみると、この建物が一番目だって居た。

 本村に戻る途中、度島神社に立寄る。度島の中心的な神社だけあって社務所もあり、御神職も居られる様だ。境内には旧陸海軍の従軍者の碑が建っている中に、「度島電気開通記念之碑」が目に付いた。

 「開通」の文字の判読に自信は無いが、昭和44年3月に無点灯集落から配電が開始されたもののようだ。

 度島を巡っていると至る所に仏が祀られている。キリシタン哀史が頭に残っているので、こんなにも多くの仏が祀られているのかと考えてしまったが、たんに度島の人達の信仰心の表れかも知れない。

 仏を眺めて歩いていたら、そろそろフェリーの時間だ。郵便局の前にフェリーが留って居たから、なんとなく安心していたら、何のことは無い港の東側の方に本村の待合所があって、その向こうに別のフェリーが留っている。

 フェリーの船員さんに「写真を撮ってたが何しに来たのか?と尋ねられた。旅行者にも見えず、まして地元に親戚がある様子でもない。わざわざジムニーを島に渡して日帰りをする、変な人間にでも見えたのだろうか?

 まぁ変わり者には違いない。度島にはバスもタクシーもレンタカーも無い。自家用車か農業機械が交通手段。なんどもテーラーやトラクターと擦違った。

 船員さんに聞くと、民宿も旅館も有るにはあるそうだ。佐世保辺りの小学生を民泊で受け入れて自然体験をさせている人も居るという。その昔、国立か県立の公園指定がされそうになったときに、観光客が来るのが迷惑で指定を断った等と、真偽もつかない話を聞いた事があったが、道を教えてくれた人達からは、そんな様子は感じられなかった。

長崎県平戸市度島町1727番
度島神社
0950-25-2016

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