宇久島に妙見宮を訪ねて

 佐世保から小値賀に入り用件を済ませ柳から宇久平に渡ってきた。昨年の5月に妙見橋という石造アーチ橋を見に来て以来だ。宇久の行政センターで用件を済ませ一年ぶりの散策。(06/13-14/2008)

観音橋の袂の石仏は白く化粧されていた

 波止から神島神社に向かい上陸のご挨拶を済ませてから一宝山東光寺に向う。参道の石柱脇には二体毎に将棋の駒形の後背をもつ地蔵尊が並んでいる。たぶん六地蔵であろう。山門下の酒や大蒜を持ち込むなの曹洞宗らしい石柱の下にも古い六地蔵が。これも駒形の後背を持っている。

東光寺山門六地蔵

ここにも六地蔵

 本堂の前から左手に時計回りに進むと真裏に歴代の御住職の墓所の奥に家盛公以下七代の墓所が祀られている。福江に三年半ほど勤務した身としては多少の縁を感じるので墓参。はて中央の家盛公の墓も将棋の駒に見えないことも無い。このまま妙見橋に向おうかと思ったが、宇久七代に墓参して久保様を無視するわけにはいかない。

東光寺本堂本堂内部

家盛公以下七代の墓

 東光寺を出て下の道を右手に行き石垣を眺めていると看板が出ていた。宇久高校の生徒さんが作ったものだ。案内に寄れば此処が七代の居館が建っていた場所との事。県道を突っ切って右手に久保様の墓がある。久保様とは家盛公が宇久にやってきた時の土豪、久保盛興の事で、家盛に風呂攻めされ一族七名が謀殺されたと言う。その埋葬地が此処であるらしい。非業の死を遂げた霊を祀るのは日本人の中に生きている自然神道の表れか。

家盛公以下七代の居館跡久保様の墓

 なんだか寺巡りをしているようだが通り道だし真言宗の毘沙門寺にも寄ってみよう。ここも家盛公ご縁の寺で文治五(1,192)年に開山された古刹、見逃すわけには行かない。

吉祥山毘沙門寺吉祥山毘沙門寺

 真言宗の寺だから当然のこと弘法大師像が境内に建っておられる。ここでも境内の一隅に六地蔵と思われる六体の地蔵尊が祀られているようだが、一番右手の坐像も地蔵尊かどうかは腹掛けのため尊像の御姿が不明なため定かではない。

厄払大師六地蔵

 さて妙見宮を目指さないと17時の美咲海運のフェリーに間に合わなくなる。小・中・高一貫教育を始めたという宇久高校の前を通り歩いて行くと、なにやら時代の有りそうな井戸が有る。気には成るが先に進む。

宇久高校なにやら井戸が気になる

 妙見宮を見る前に今年の五月に知人が地元の瀬戸氏に聞いたという、妙見橋の袂に有ったと言う鳥居の痕跡を確かめることも目的の一つ。橋まで来て見ると昨年の同時期と比較に成らないほど草に埋もれている。今日は鎌も持ってないので足で探りながら見てみるが鳥居の痕跡は見つける事が出来なかった。

手に負えない諦めて自然歩道へ

 気を取り直して旧参道であったと言う自然歩道に足を向ける。こちらは良く整備された道で歩いていても気持ち良い。10分ほど歩くと先ほどの県道からの道に出会い、その向うに現在の一の鳥居が見える。束額には情報通り山本神社と記されている。

気持ちの良い自然歩道道路の向うに鳥居が

 更に登る。妙見と言えば北斗七星だし何処の妙見宮も高いところに鎮座している。諦めて更に上り開けた尾根道を進む。三の鳥居を過ぎたら、どうやら社殿が見えてきた。四の鳥居には妙見宮の文字が見える。

四の鳥居の先に拝殿前拝殿内部瓦にも桐文と妙の文字

 妙見宮は文治三(1,187)年、家盛公が山本の地に鎮守として社を建てたと伝えられているそうだが、それにしては桐紋が気になる。そう言えば神島神社も桐紋だった。祭神は天常立命。拝殿手前右手に山神社が祀られてあるが一般的に見れば山神社が元々祀られていたところに妙見様を祀ったと考えられる。

 妙見様に向って右手に丹頂鶴が二羽配された築山が有り石橋が掛けられてある。妙見様自体が神仏混淆であり道教的な要素も有るからの池だろうか?

山神社石橋

 宇久の何処かの神社の境内に石橋が有ると以前から噂があったが、この橋のことだろうか?疑問は尽きないが時間も経った。波止まで降りなければいけない。昔は石橋が架かっていた観音橋を過ぎてターミナルに着いて愕然。しまった確認不足だ。5時の美咲のフェリーがドック入りで欠航。藤屋旅館に電話を入れてみるが満室。柳から来たのでターミナルでの確認を怠った失敗だ。

観音橋波止場の案内所

 OBに電話を入れたら泊って良いよと返事を貰ったが、もう一つ宛てが有るので友人のメーカー技術者に電話。藤蔵に一人で部屋を取っていて聞けば追加可能との事で返事が来た。OBに再度電話を入れたら、それなら飯だけでも来いとの事で遠慮なく伺う。(OBの所は口煩い父上が苦手で)

シーサイドホテル藤蔵小奇麗な客室
(写真は08/15-16/2004に宿泊した時のもの)

 OB宅で御馳走になり宿に戻って二次会。痛飲。寝過ごした。友人は元気一杯で朝一で佐世保に向ったが当方は、ゆっくりとチェックアウト。

 昨夜OBから、観音橋なら今でも橋として架かっていた石が残っていると聞いたことを思い出す。改めて訪ねて見廻すと確かに大きな板石がある。随分痛んで読みにくいが案内の看板もあった。

観音橋の板石厚さ一尺から尺五寸ほどか

 案内に拠れば、この石は江戸の後期、文化年間(1,804〜1,817)に寺島から取寄せた物だそうで、当時としては大工事であった事が記されている。架橋当時この観音橋の道筋は平〜神浦を往来する唯一の道で昭和二十年頃までは橋を渡って七曲の坂道を通う姿が見られたそうだ。

 観音橋は石橋に成る前は古来から幾度も架け替えられたそうだが、この石橋も昭和二十六年に新しいコンクリートの橋に役目を譲り、平成9年度の河川工事で撤去され百数十年の歴史を閉じた。永く親しまれた石橋の石を記念して川筋に残したとの事である。

 さて土産でも探しに港まで行って見よう。金曜の深夜に帰宅すると言っていたので家内の頭にツノが生えていそうだし。

荒神様かと思えば荒人宮神島神社の前から

 港から一本入った本通りを歩いていると火伏せの荒神様が祀ってあるかと思うと「荒人宮」と記されてある。荒っぽい人を祀った訳では無いだろうが様子から見れば荒神様だろう。                                                                         丸江商店の前に来たらホワイトボードに「新うに、あわびのつの漬け、サザエの酢漬出来ました」と書かれてある。新ウニは家内の好物。2,000円は痛いが買わずば成るまい。ゴマイカとサザエの酢漬けも頂く。

 行政センター前の総菜屋さんで弁当を貰ってターミナルに向う。昨日上陸した小値賀を経由して三時間半程の船旅。料金は片道2,730円なり。

九州商船フェリーなるしおフェリーなるしお二等船室

 そうそう、ふぉとあるばむ宇久島を見ていたら、ゆっくり宇久を楽しみたくなった。家内と二人で遊びに来たいものだ。

長崎県佐世保市宇久町平238−1
シーサイドホテル藤蔵
0959-57-3838

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