波佐見町の丑の助さま

 波佐見町志折郷の小高い墓所に「丑の助さま」と呼ばれる、身の丈1m程の石仏が地域の皆さんから信仰されている。(12/11/2008)

Mapion

 墓所の下の道路沿いに案内が出ている。丑の助さまとは波佐見地方の伝説の人であったようだ。なにやら霊験あらたかな石仏であるとか。

 丑の助さまを訪ねる坂の途中に、二人地蔵の形の六地蔵が祀られていた。諫早に住んでいると佐賀形の六地蔵ばかり目に付くが、大村藩内に入れば六体並んだ文字通りの六地蔵が目に付く。

 そんな風に思っていたら、このところ二人地蔵にも出会うようになった。案内板に何か書かれてないか見てみよう。

 丑の助さまは何百年前の偉人か俗名も無ければ年代も明らかでない身の丈1メートル余りの面長顔で品のある石の地蔵さんである。

 古老の伝説によれば、勝れた剣の達人で力持ち。それに大変お酒が好きであったという。武者修行道中、或る村に差し掛かった時、秋の祭りに奉納相撲が盛大に行われ取組も進み、いよいよ五人抜きと相成り最高潮。

 丑の助さまも、出たくともマワシが無い。近くに有った孟宗竹を引き抜き、五本指でピシッ、ピシッ、ピシッとしごくと昆布のようになった。これをマワシに締め、土俵に上がり掛かって来る奴を?んでは投げ、千切っては投げ伏せ、たちまち五人抜きをしたという力持ちである。

 「英雄色を好む」とか、丑の助さまは腰より下の方に関心が強く、子供の寝小便、脱腸等はもとより婦人病、男性ならば五十を越すと誰しも「あの方」は、サッパリ無沙汰がちに成る為、夫婦間の和を欠く傾向がある。

 これらに悩む方は「お酒と刀(模造)」を奉納し一心に祈願すれば、若返り夫婦間は勿論家庭円満にも繋がる。

 丑の助さまは酒豪であったため、自分が死んだら酒屋宝泉寺(岳辺田郷)の方に向けて埋めてくれと遺言を残された。それで丑の助さまだけが東向きになっている。

志折郷自治公民館長

 

 やや文章は俗っぽいが、丑の助さまの、お堂の中には玩具の刀や酒が奉納されている。身に覚えがあり、祈願している人が多いのだろう。

inserted by FC2 system