藩境石塚(鈴田峠〜風観岳)

 長崎街道の鈴田峠から大村に向かって右手に入ると風観岳に上がれる。(01/05/2002)

 昔から大村と諫早の境界である風観岳(236.7m)。

 鈴田峠から風観岳の遥拝所の間で藩政時代の国境標識である藩境石塚を見ることが出来る。

(上の説明だけでは不十分でした。まずは諫早市破籠井から長崎街道に入って下さい)

 この石が硯石で大村諫早間の鈴田峠の目印。

 この石から右手に上って行くと風観岳の山頂に上がれる。

 途中に分かれ道が二箇所ほどあるが上に向かっていけば大丈夫です。

 この塚は三角塚と言い藩境石塚の一種だが境界が「く」の字に折れたところに築かれたもの。

 風観岳の山頂に行く途中に遺された、この石塚は確認された中では最大のものです。

 四角く積まれた、この形の藩境石塚は角塚といい諫早(佐賀)藩が築いたものです。

 また、丸く積まれたものは大村藩が築いたもの(写真下)で丸塚と呼ばれます。

 藩境石塚は約30m間隔で設置されていて、享保10(1725)年に築かれたそうです。

 この藩境石塚は全部で三百数十基が築かれたそうですが、この諫早西部の丘陵地帯に60基ほどが確認されています。

 しかしながら、その多くは戦後の開発や開拓で消失しています。

 せめて現在残っているものだけでも文献資料を伴う大切な歴史遺産として遺していきたいですね。

 風観岳山頂の東端にある東方遥拝所と文字が刻まれた石柱があります。

 この石柱は、もともと街道の硯石の傍にあって「従是東佐賀領」と書かれていた石柱だったそうですが、その文字が削られ明治時代に現在の場所に移されたものです。

 藩境石も、こんなリサイクルをされるとは思ってなかったでしょう。

 風観岳の山頂は日露戦争の出征兵士凱旋祈念碑(写真中央)などもあり上の石柱と併せて軍国主義時代の遺物になっています。

 現地の状況からすれば昔は東側に諫早湾や多良岳連峰を望む絶景の地だったようですが、現在は杉の木立に隠れて遠景を楽しむことは出来ません。

 何気なく知人のブログを見ていたら、私の記事で現地に行って場所が判らず苦労されたようだ。長崎街道の鈴田峠とリンクしたり、マピオンを持ってきたり少しばかり手直しをしてみた。

 また、2002年当時は、通信速度が遅いことも有って、写真を小さく加工していたが今と成っては小さすぎて判りにくい。

 写真も入れ替えてみた。

05/11/2008更新

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