諫早の津

 藩政時代の、諫早の港(津)といえば、大村湾に開けた津水と本明川の諫早(唐)津です。

 現在の諫早の津。右川下側が唐津、左手は光江です。どちらも港を表す名前ですね。

 光江の方に、割札所が合った様です。この割札所は、ここと永昌宿の代官所の奥に置かれていたようですから、諫早城下の、二つの玄関口の一つで有ったといえます。(諫早市史の絵図を参照した)

 諫早防災干拓以後、満潮時の潮が、上がってくることが無くなったが、締め切り以前は、上潮に乗って、もっと上流の、公園橋まで、潮が上がっていた。(公園橋の上、山下淵に堰が出来る前を、管理人は見ていないので、その前は?)

 潮が、上がる様子を見ていると、なるほど昔は潮待ちをして、諫早湾から、船が上がってきていたんだろうと、納得ができる。今の川の様子は、昔の干潮時と変わらない。

 いまは、往時を忍ぶよすがも無く、ただ鷺達が、小魚を求めて、集まっているのを見るばかりです。

 そういえば、「唐津」の旧名を示した、標柱が、写真から、25m程手前に立てられているのが、唯一の記録かもしれません。

 諫早市の「諫早百選」の23番目に、この港跡が選ばれているが、もう昔を偲ぶよすがもない。

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