くじら橋と土橋多助翁

 諫早公園の、眼鏡橋の後ろに、小さな石橋が架かっている。これを「くじら橋」という。

 この橋は、元々、旧好古館(現諫早市役所)の裏門に、安政年間(1858年ごろ)に架けられた橋で、今でいう、市役所と北島医院の間に架かっていたという。橋が架かっていた掘割は、山下淵から、水を取って、輪内(仲沖)に、水を通していた、用水路です。この用水路は、今も商店街を横断して、仲沖に水を送っている。

 その後、明治6年に諫早小学校を建てるため、旧道路を潰したので、この橋が小学校の裏口となったが、大正10年から、始った諫早公園造りが一応の完成をみた後、上り口にの掘割に木橋を架けたが、木陰で腐食が早いため、大正末期に、くじら橋を、諫早公園昇り口に移した。

 昭和の時代になり、何時しかこの橋の謂れも、忘れ去られて行き、昭和32年の諫早水害のあと、眼鏡橋を諫早公園に移築する際、盛土をするため、くじら橋は撤去することになったが、この橋が、「くじら橋」であったことは知らなかったが、良い橋で勿体無いため、眼鏡橋の池に架け替えることとなり、現在の位置に、架けられている。

 この橋が、くじら橋と呼ばれるのは、現在で言う新橋の上まで、鯨が迷い込んで来ることがあったからだというが、今となっては定かではない。

 この橋が、「くじら橋」の名を取り戻したのは、昭和52年頃から、城下町の調査を始めた、諫早高城会の、山口祐造氏の、ご努力に拠ったものである。

 この顕彰碑の、向かって右側が、くじら橋を架けた、郷土の聖人、土橋多助翁の碑である。翁は、極貧の家に生まれたが、勉学を志し、17歳の時長崎に出て、蘭学医の家に下男として働いた。家の掃除や使い走りのかたわら、書を読み、時には弟子達の後ろから先生の講義を聞き、薬調合の手伝いをしている間に、医術も徐々に覚え、16年励んだお陰で、恩師から免許を得たので、32歳の時、森山村で開業したという。

 彼は親切で思いやり深く、貧しい病人には一握りの米を与えて、元気をつけさせたので、評判は近郊に聞こえ、大いに繁盛して、財を成した。

 翁は、財を成しても、その財をただ積むのではなく、財政困難な諫早家に献納したり、寺院に献田、学館「好古館」にも勉強する子弟の飯米にと献田。また、公益事業に心掛け、仲沖から半造、小野へ通じる道路の改良や、領民が困っている場所には、架橋した。その架橋の一つが、この「くじら橋」である。この安政年間に、翁が架けた橋が、眼鏡橋と共に、諫早公園に残ったのは、諫早市民として、幸運であったといえる。

土橋貞恵翁像

 土橋多助翁が架橋した橋は、上記の鯨橋以外に半造橋、段堂橋、田代橋、森山の多助橋(市道下名多助橋線であれば現在の下井牟田からの市道)であったという。全て石橋であったという。

 毎年、5月9日に「土橋貞恵翁祭」が森山東小学校で行われている。

■半造橋(はんぞうばし)

 本明川の支流、半造川に掛かる現在の半造橋が、多助翁の架けた場所かどうかは不明だが、とりあえず半造橋の名を引き継いだ橋を見てみよう。この橋は諌早の中心街から小野を通過して森山に向かう道。多助翁も通いなれた道であったろう。

架橋当時の半造橋
架橋当時の半造橋 現在の半造橋

(もともとの橋は1857年安政4年架橋)

■段堂橋(だんどうばし)

 長田中学校脇に掛かる段堂橋。橋名は引き継がれたり移されたりするので、これまたこの場所であったとは思えないが、どちらにしても東長田村生まれで12歳までを過ごした多助翁にとっては、この長田も格別の地域であったろう。

昭和30年代、既に石橋ではない 現在の段堂橋

■田代橋(たしろばしは別名で、橋の名前は湊橋が正式名)

 田代と名が付けば早見だろうと思って探してみたが見つからない。見つからないはずです。田代というのは今の東本町の旧町名でした。

昭和30年当時の様子 現在の田代橋こと湊橋

 現在の湊橋の袂には明治の年号が入った湊橋の親柱が保存されている。

■多助橋(たすけばし)

 森山の井牟田下名から旧町役場方向にむかい二反田川に掛かる橋。たぶんこの橋ではあろうと思っていたが橋名の記載もなく確信が持てなかったので、森山支所の建設課で確認した。

昭和30年代、既に石橋ではない 現在の多助橋

 石桁橋から架け替えられた旧橋の頃には橋名表示があり、今の橋より風格があるようです。

■くじら橋

 諌早市役所横の現在のくじら橋は、欄干が無ければ気がつか無いような状況。高城回廊の整備が進んで、回廊からは橋がみえる。

諌早公園に移築されたくじら橋 現在のくじら橋

 以上の5橋が多助翁が架橋した橋として知られているが、実際にはもう2橋架橋されている。おいおい現地を確認してみよう。

森山の境橋 さやんごぜ橋

08/18/2007更新

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