高城公園

 昭和32年7月25日夜、諫早を襲った諫早大水害。流出してしまった高城神社の敷地の一部に作られた高城公園。

 539名の犠牲者を慰める、大悲観世音像(横江嘉純氏制作)が建立されている。災害復興20年の記念碑の碑文を写してみよう。

諫早大水害復興記念碑

一日雨量900ミリ以上の集中豪雨は山津波と本明川の氾濫を引き起こし死者539人という我が国災害史上まれに見る大惨事ととなった。

昭和32年(1957)7月25日夜
あとには深い悲しみと泥に埋まった市街
荒涼たる耕地と山河が残った。

市民は虚脱から同胞の援助を杖にして立ち上がった。稲の苗が、食料や衣類が、浄財や励ましの言葉や労働が全国から寄せられた。

大水害二十周年を迎え感謝を込めて復興を喜び、再びかかる災害の無いことを祈念してこの碑を建立する。

昭和52年7月25日 諫早市長 野田次三

 クスの老木が茂る公園内には、傷痍軍人之碑、海外同胞慰霊碑、平和都市憲章の碑、諫早市消防団員殉職者の碑、原爆殉難者之碑などが建立されている。

 写真左手が古木が茂る高城公園。右手が本明川。この場所の堤防が切れて、市街地に濁流が流れ込んだ。

 写真中央の石柱上部の色が濃くなっているが、この位置が当時の水位だったという。高さは大人の背丈ほどだが、この場所自体が、水害後川幅は20m程広げられ、高さも2m以上嵩上げされていることを忘れると、勘違いをしてしまう。

 忌まわしい記憶を残す公園ではあるが、災害を忘れてはいけないし、防災の備えは怠れない。そうは言っても現在は、枝垂れ桜が市民に愛される公園。隣接する諫早高校の吹奏楽部の練習の音が聞こえる公園だ。

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