有喜街道を訪ねて(島原街道へ至る)

 有喜街道と言われても、「それ何処?と言われる方も多いだろう。諫早城下から小川・川床・夫婦木・鶴田の山越えの道で鶴田の追分から有喜に至る言わば長崎街道と島原街道を繋ぐ往還。本来なら貝津のさやんごぜの手前の追分からスタートすべきなんだろうが、今回は諫早の中心からの出発。(05/06/2008)

船越の追分

 船越の道標が建っているところは再開発で数年前とは随分様子が変わっている。(以前の船越の道標)この道標は明治33年に立てられたのだから、街道の追分では無いと言われる向きも有る様だが、此処は中世からの船越宿の出発点。伊能忠敬が測量したときにも追分石が有ったそうだ。当時の船越村の此処から出発しよう。

小栗小学校の先から左に下る。

 諫早バイパスに向かって埋津川を越えてバイパスの信号を超える。この辺りから鷲崎村に入る。左前方に見える小栗小学校を過ぎたところから左手に下って、小栗幼稚園を右手に見ながら道なりに丘陵部へ登っていく。

 この小学校の脇を流れる埋津川の支流、太刀洗川という小川が、竜造寺入部の時に西郷氏と合戦があった古戦場で、この川は血に染まったという。

 現在の鷲崎交差点辺りからの道と合流したら右手に曲がり、畑の先の小山を目指す。小山の100m程、手前から未舗装となる。この付近から川床村に入る。

 雑木の林の中に入る。林の中に入ってしまえば、落ち葉が堆積した気持ちの良い自然道になる。やや行って開けた場所に出れば一里塚跡。雑木の中に入ってから此処までと、この後の合流点までは大村街道の鈴田越えに劣らず良い雰囲気の街道が残されている。

 その合流点に向かおう。小栗小学校の先から左折せずに刑務所の前を過ぎて夫婦木入口バス停の先から左に入った道との合流点だ。車が楽に入れる道に成ると歩きやすいが、道の周りには時々不法投棄の機材が見られるように成るのが残念。道そのものは気持ちの良い街道だけに残念。

 途中、二位尼の碑と安徳天の碑に立ち寄りながら、のんびりと行きましょう。安徳天碑を過ぎると、また未舗装になる。

 途中分かれ道があるが道なりでよい。間違ったとしても同じ場所に出る。

 農地の間を進んでくると、多少開けた場所にでてくると、向かいの山には県防災の無線中継所が見える。さらに下って楠木を過ぎれば、また杉木立の道になり、やや上り坂と成る。

 上り切った辺りが開けている。ここが有喜と島原街道のへ向かう追分になる。ここに昨年(平成19年)12月に地元の街道調査を行った宇木会の皆さんが立てた追分の道標が有る。

 実は、この道標が立ったことが、このページを書き込んだきっかけ。

 さあ、一休みの後は、宇木会の皆さんに敬意を表して有喜村に向かおう。しばらく下ると岩の口の道に合流する。そのまま下って平地に出たら左手に幼稚園が有る。幼稚園を迂回するように進み、市営有喜j住宅からの道とであって右折。道なりで国道に出る。

真っ直ぐ島原街道を進むならこちら

 国道を渡り、有喜の交番所前を進めば橋に出るが、その手前を川沿いに右手に廻ろう。浮亀湯さんで湯に入りたいが今日は無い。

 さぁ、もう少し先まで行ってみよう。港に出れば大きな恵比寿様が待っていてくれる。白髯神社をゴールにしようかとも思ったが、今日は此処で終点。

有喜の揚げかんぼこでも土産に買って帰ろう。

伊能忠敬が測量した街道

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