善根の辻(泉町)

 竹下バス停から目代に向かう、坂道を上って行くと、狭い脇道の先、左手に見える。(02/23/2002)

 普通の住宅地の敷地ほどの広場があり、多くの観世音菩薩、地蔵菩薩、庚申塔、龍神、楠遥拝塔などが祀られている。

 諫早平野を眼下に見渡す景勝の地も、昔の小高い丘が、昭和32年の諫早大水害の埋土確保のために削られ、また住宅開発のために、宅地に囲まれた場所になってしまった。それでも、遠くに雲仙を望むこの地は、散歩の合間の休憩にはありがたい中継場所。

 観音堂を透かして、諫早平野が見えるこの地は、江戸中期の元禄時代に書かれた、西郷記によれば、・・・ご本陣貝役、大町八幡の山伏王震坊前法印宥山へ命じて、善根の辻に於いて、勝軍の法を行い、勝軍の貝を吹かせる・・・と、竜造寺氏が西郷氏を攻め、戦勝の合図を、ここ善根の辻で行わせたことを記している。

 この地から、高城の本丸、正林の二の丸を同時に攻め、西郷氏の時代を終わらせた。善根の辻が出たから書くのではないが、竜造寺家晴公は、西郷氏の縁のある寺社を廃せず、自身が引き継ぐ形で、残した。このため多くの資料や史跡が、破壊されること無く残っている。版籍奉還の時まで、諫早家として存続したのも、そんな善根によるものかもしれない。

 諫江八十八ヶ所霊場の第二十番札所阿波国鶴林寺(右側)と、第二十一番札所阿波国大龍寺(中央)の弘法様。二十番は、本来は白牛庵に配されたと記録にある。

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