岡山に縁者を訪ねて

 結婚・出産の狭間で亡くなり、縁遠く成ってしまっていた故人の消息を訪ねて岡山県英田郡大原町沢田(現美作市)を訪ねた。(16-18/9/2006)

墓所からの眺望、中央は今は無人の故人の実家

 諫早から岡山は遠い。私にとっては初めて訪れる家内の父方の本家。場所も定かではないので、岡山市内に前泊することにした。折からの台風13号に追いかけられて高速は50〜80km/h規制が続き家内の愛車は横風にハンドルを取られる。

岡山城から後楽園へ夕食は居酒屋ママカリ寿し

 今度来るときは、中国道で作東で降りることに成るから、折角だから有名な後楽園を散策。歩きつかれてタクシーに「飲食街に連れて行って」と頼んだところ、客待ちの運転手さんたちは口を揃えて「一番街なら間違いない」と言う。着いたところは駅の地下街。こんなもんなら何処にでもある。がっかりして繁華街を歩いて居酒屋に入った。名物のママカリも食べて満足。

ここから右手に入る子持ち亀甲に二つ木(遠目には二両引きに見える)本家の本家

 高速で和気に向かい吉井川・吉野川を遡れば目的の旧大原町に辿り着くはず。高速で岡山JCから中国道入って作東で降りれば早いのだが、家内も幼い頃に一度行っただけの場所。一般道を走って周辺の雰囲気を味わいたい。湯郷温泉を過ぎて川北から一山越えればもう直ぐ。沢田の文字が見えてくると家内が反応した。一度きりの滞在でも記憶は残っている。「この上みたい」と旧道に入る。集落一帯は皆「船曳」、家々の紋は「子持ち亀甲に二つ木」、この近くと思い当たる家で訪ねると「徳(いー)ちゃんなら覚えがある」と言われる。しばらく話を聞いた後、「本家に連れて行っちゃる」と案内された。

墓所に上る父ちゃん。やっと来たよ記憶の中だけだった・・・・・

 本家で話を聞くと昔イーちゃんが娘を連れてきて、うちの子とも遊んだと思い出してくれ、墓所に案内してくれると言う。なんと念願の墓参があっけなく実現してしまった。墓所を下って豊太郎(祖父)さんの家のことなら詳しい人が居ると案内してもらったら、今までも大泣きしていた家内が更に大泣きして一軒の空き家を指差す。そこは豊太郎が分家した家。家内が幼い頃に滞在した祖父の家だった。

 家内にとっては漠とした記憶の中の叔父達の消息を伺いながら、優しい人々の対応に縁薄かった子煩悩な実父の面影を追っていたようだ。49歳で他界して30年余り。空白の時間と絆を埋める一日。

 教えていただいた菩提寺は従来の真言宗から、豊太郎の代で宗旨を変えた日蓮宗の隋縁寺さん。寺に向かう間に絶えてしまう家も多くなるだろうという思いが広がる。徳の子も家内を含めて4人もの子を成しながら、妹達も全て嫁いで船曳の名を継ぐものは居ない。ましてやこれからの少子化の時代は更に絶える家ばかりだ。

 船曳の集落でも数件の空き家が出来てしまい、火災や防犯の不安から解体をしたいが相続などの登記が出来ていないため親族さえ手が出せない家ばかりだという。豊太郎の家は九州に居る徳の子達が揃えば、叔父達の判断で措置が可能になる。よくぞ墓参に来てくれたと感謝される始末。永年の無沙汰を責められるとばかり思っていた私達にとっては思いもよらぬ話だ。聞けば、墓所の手入れも家作の始末も、元総代の好意で山や田畑の小作料で賄ってくれていると言う。今回のように台風でも来れば倒木の始末もある。農地からの収益などは望めない時代。現実は地元の皆さんの御陰で維持が出来ているようなものだ。

 600km以上も離れた地で暮らす我々には、権利を主張するような気持ちはあるはずもない。叔父達が処分を決めれば従うまでだ。元総代の話によれば不動産を処分しても墓所の管理はしてくれると言う。本当にありがたい話だ。処分をするにしても、まだ数年は猶予がある。近いうちに義妹達夫婦と都合をあわせて墓参りがしたい。

 

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