石造アーチ橋以外の石橋たちを訪ねて

第 k-041・42 番 佐賀県杵島郡江北町の天子神社の参道橋・街道沿いの御幸橋
佐賀県杵島郡江北町上小田
天子神社の御幸橋
大正14年11月
長さ 4.0m 幅員 2.8m  スパン m
神社の参道橋2基

 肥前山口から長崎街道を下って、小田宿に入ると街道はカラー舗装されている。街道沿いに右手に鳥居が見えるが、その鳥居の手前が御幸橋。奉納の名前が読めそうだ。「武富治平」とある。

 これが石工の名であるなら、佐賀の砥川から江戸時代に諫早藩が招いた名工、武富納助の子孫かと考えたいところ。諫早の高城神社の大鳥居は納助の子孫、武富儀平が明治15年1月に建立したもの。そんな事を思うのも楽しい。

御幸橋大正14年11月架橋

 遠くに見える参道橋を行くと。大きな楠と鳥居が見える。八幡様や天神様のようにポピュラーな神社ではなく「天子神社」という。この鳥居の手前に幅広な参道橋がある。

天子神社の参道橋
橋長1.7m 橋幅4.3m

 コンクリートかなと思い覗き込んでみると拡幅されているものの橋自体は差し渡しの桁橋。太子という名前につられて寄り道をして出会えた。

覗き込んでみる鳥居から長い参道を振り返る

「神社に行こう〜長崎県の神々を訪ねて」なんてページを作ってるものとしては、こんな珍しい(景行天皇説と少彦明神説が一般的)神社は、ちょっと紹介しておきたい。

 大森神社を再建し、仲哀天皇・神功皇后を祭祀した上宮である乙護法

応神天皇を祭祀する中宮である天子神社

 どこの神社でも上宮が本来の性格を現して、中宮・下宮が現体制の祭神を置くもの。祭りが祀りであり政治であった時代の話だ。過去の勢力が祀ったものを、新たな勢力が塗り替えるか、上段に祀り上げ「この神様がご利益がある」と広める。このパターンが神社縁起でも良く判る。

天子神社縁起

 神功皇后道徳山に野立し給う時に始まり土民がその御聖徳を欽仰するのあまり、その行啓由縁の地を朴し仲哀天皇をも合祀して鎮護神とした。岡の明神である。

 天平年間(729)に、ときの小田駅長、広足、この社に応神天皇をも勧進申し上げ新たに社殿を造営。岡の明神を改め大森大明神と尊称し宝祚の無窮、五穀の豊饒、交通の安全を祈願することとなった。之が天子宮の起源である。

 文治2年(1186)広足の後裔、小田十郎蔵人が地頭に補せられ佐賀郡小津郷の地頭である龍造寺季益と共に鎌倉に勤番して帰任するに当り、十郎蔵人は信仰せし鎌倉の若宮八幡宮の御分霊を奉戴して馬頭観音の傍に一社を建立する。このとき仁徳天皇を併祀して若宮八幡宮と称し奉る。

 足利三代将軍義満の頃永徳元年(1380)小田十郎蔵人の子孫である小田の庄司広次は小田三社宮を定む。

 大森神社を再建し仲哀天皇、神功皇后を祭祀、上宮乙護法(今の乙宮社)とする。氏子、草葉小路、猶原周囲民とする。

 後世室町時代永禄年間1558〜1569草場民部大夫は御神領を寄付し祭事及社殿修覆は厳重に施行する。

 応神天皇を祀れるところを中宮、天子社とし氏子、上小田の住民とする。

 若宮八幡宮を下宮とし氏子、下小田の氏神とす。

(戦乱による社殿の荒廃)

 戦国時代天正2年(1574)須古高城の平井経治が龍造寺隆信に亡ぼさる。

 平井経治の家臣小田の領主草場民部大夫は戦死。草場氏絶えて社宮は見るものはなかった。

 天正3年(1575)龍造寺隆信、三根郡中野城より馬場鑑周を小田の領主とする(馬場氏は後3代36年間小田に居城する)

 神社佛閣を修復するものもなく天子社は荒廃に帰していたので、天正5年(1577)人民安堵、国家安泰祈願のため奉料及び修繕料を下付。修復を行う。

(領主鍋島家時代の復興)

 慶長年間(1596〜1614)鍋島直茂、本殿拝殿修復、毎年御供米下さる。

 寛永年間(1624〜1643)鍋島勝茂、社殿再建、御寄進。

 延宝2年(1674)鍋島光茂(3代)、社殿修繕、須賀社?(6/11例祭日祇園祭)検地の際、天子社境内、反別7反、甚畝拾歩、免税地と定む。

 延宝5年(1677)藩府より御下知ありて、神事祭礼の儀は、毎歳9月29日を以て祭日と定める。

 流鏑馬式執行候申し達せられ、御供米、注連木、御供薪等、毎歳恒例之通、御鹿倉(官山)より黒印を烙記して差し出され神幸の御神馬、馬具、甲胄等厩の別当を添え武庫所より差出さる。

 かくて御祭料は明治3年まで藩府より支出あり

(新政府の時代)

 明治4年伊万里県の際、御祭料が引き揚げらる。

 明治6年村社に指定。祭典料その他祭礼費は民負担と定めらる

 明治40年2月15日、神饌幣帛料供進、指定氏子戸数440戸。祭神は、応仁天皇、仁徳天皇、仲哀天皇、神功皇后、豊受大神、菅原道真、崇徳天皇、天照皇太神、大山祇神、倉稲魂神、素戔鳴尊の11柱。

 境内に、海律見神を祭る沖社社、猿田彦神を祭る庚神社、三女神を祭る厳島社等あり。境内1236坪、神社三社あり。

これは江北町商工会資料を読みやすくするため手直ししたもの

上宮である乙護法の素晴らしい狛犬

05/06/2008更新

 

inserted by FC2 system