焼き物の里波佐見町の25橋を訪ねて

 もう4〜5年前になるだろうか、波佐見町の教育委員会や文化財保護係り等を訪ねた際に、まだ他にも石造アーチ橋が有るかも知れないと聞いていたのだが。その時に資料が見当たらなかったこともあって「また伺いますよと話したきりになっていた。

 久しぶりに文化財保護係りを訪ねると、中野さんという方が応対していただいて、「1986年当時25橋のアーチ橋が確認されていたんですよと仰る。さらに「資料をコピーしてあげましょうと嬉しい話。

 頂いた資料にはトップのコンクリート多連アーチ橋と同じくコンクリートの宿橋を参考として、石造やレンガ造のアーチ橋が記載されていた。

 中身を見てみると、既に訪ねて収録したものが12橋、消失を確認済みのものが11橋、未確認のものが1橋、全く知らなかったものが1橋であった。これは楽しみだ。(頂いた資料から作ったチェックリスト

 後日、朝から波佐見町を目指す。最初は鬼木の清流橋と名を変えた第二谷源志橋が架かっていた現在の第二谷源志橋を眺める。鬼木の里は田植えも終わり苗も分結が進み棚田が美しい。

 鬼木の棚田を楽しんで観音堂を回って上中尾の集落を抜けて三股に入る。板橋として思い込んでいたが、もしかしたら拡幅されて内部にはアーチが・・・・などと思いながら走る。中を覗き込んだが、やはり板橋だ。県道に出て既にコンクリートの橋になった御堂橋、旧金山発電所前に架かっていた籠原橋を通過。

三股の石造板橋旧金山発電所前に架かっていた籠原橋

 さて、あまり遊んでいてはいけない。村木に行ってみよう。目的は狸山の橋(名称は本谷池下の橋に修正しました)だ。分校跡近くの松ノ木川内橋の無事を確認して不動佐橋で休憩。右下の写真の右手一帯が狸山、そして狸山の右手前の堤が大きく現地ではこれを下の池と呼んでいた。

 今回は狸山の堤を一周するルートを走りながら確認。反時計回りで回っていたときには気が付かなかったのだが時計回りに回ったら、何のことは無いすぐに、それらしい橋を発見。狸山の橋の無事現存を確認できた。

この奥が堤

 陽も傾いてきた。次は川棚方向の川内に向かう。川内川の上流にある現在の中川内橋が元は石橋であったことは知っていたが、今回はその支流に入ってみようと見当をつけている。あっけなく見つかった。この支流の道には入ったことが無かったのが悔やまれる。中川内橋とこの橋、二橋も石橋が続く道は昔の重要な道に間違いないと橋を渡って登ってみる。

 途中ドコモの中継局を過ぎて道は草に埋もれて軽トラの轍さえ見えなくなった。橋は対岸を繋ぎ、道となってこそすばらしい。この先には何かが在るとの思いが橋への思いになった私は、行き先のなくなった橋が悲しい。

 感傷はさておき、一日に2つの橋に出会えて満足な休日となった。もちろんこの後も川棚の3橋を見て家路に着く。

この看板のことは川原橋で

03/16/2008みさき道人さんのご指摘で訂正

 

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